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■1960年代外タレ日本公演事情 1950年代、1960年代に外国のミュージシャンが来日公演をする際、バッキングのために連れて来るのはギタリストひとりのみというケースがあり、日本人のバンドがサポートをするということがあったそうです。 古いミュージックライフを見ると、1959年に来日したジーン・ヴィンセントも連れてきたのはジェリー・メリットというギタリストひとりで、バッキングはダニー飯田とパラダイス・キングが担当しています。ちなみにパラダイス・キングは元々ハワイアン系のバンドで、ダニー飯田のパートはスティール・ギターです。それにハワイアンとは接点のないヴィンセントのバッキングをさせてしまうという当時の音楽シーンのカオスぶりが伺えます。 レノン=マッカートニー作の「愛なき世界」でブレイクしたピーター&ゴードンもビートルズ日本公演の前年の1965年に日本公演をしていますが、この際に連れ来たのもエディ・キングというギタリストひとりで、バッキングはなんとスパイダースがやったのだそう(ドラムとベースだけサポートしたという説あり)。ちなみにスパイダースは同年のアニマルズ日本公演やハニーカムズ日本公演、翌年のビーチ・ボーイズ日本公演(ただしブライアン・ウィルソンは不在)でオープニングアクトを勤めています。1965年といえば、日本ではベンチャーズ・ブームの年。イギリスのビートバンドのサウンドを正確にトレースできるセンスを持っていたのはスパイダースだけだったのかもしれません。 時は下り、GSブームの最中の1968年に武道館公演をしたモンキーズの3曲でバッキングをやったのはフローラル(小坂忠さんや柳田ヒロさんが在籍)でした。ちなみにモンキーズの日本公演は1968年10月で、とうの昔にビートルズはファブフォーであることを辞め、サイケデリック・ムーブメントも収束し、時代が不機嫌な混沌さを増していた時代。ピーター・トークがあごひげを蓄え、ヒッピースタイルで来日したのはこの時代の反映でした。わずか1年の間に流行ががらりと変わってしまう1960年代の移り変わりの早さに驚きます。 また、海外バンドがアンプを含めた多くの機材を日本に持ち込むのは1970年代になってからで、1960年代はギターだけ持ってきて、アンプやキーボードは日本側が用意したケースがたくさんあったようです。アニマルズ(1965年来日)は日本のステージでグヤトーンのアンプを使っていますし、ビーチボーイズ(1966年来日)もいつものフェンダーではなく日本側が用意したと思われるヴォックス・アンプを使っています。ビートルズ(1966年来日)の最初の2公演のヴォックス・アンプは日本が用意したものでしたし、モンキーズ(1968年来日)はエルクのアンプと、ヤマハやファーストマンのコンボオルガンを使っています。ちなみにビートルズは日本側の用意したアンプの調子が悪いと感じると、すぐに本国から最新型のヴォックス・アンプが届いて、3公演目から使用していますが、ヴォックスのオルガンは使わないのに持ち込んでいたし、機材面でもビートルズは別格だったと言えるのかもしれません。
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