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 Jun 2,2022

■国際女優・谷洋子〜2/3

 1956年、洋子は単身で訪日します。フランスで活躍する国際女優として2本の東宝映画に出演するためでした。

実は洋子がカンヌ映画祭で日本人のサポートをしたり、東宝映画へ出演することになった経緯にはすでに経済界で名の知れていた父・善一が当時の東宝の取締役の友人で、その力が深く関わっているようです。東宝側も今までになかったタイプの洋子の経歴に興味を示したのでしょう。なんといっても世界の文化の中心はフランスという時代だったのですから。洋子の宿泊先として海外の超一流のスターの定宿である帝国ホテルを用意したのも東宝の話題作りだったのかもしれません。

東宝が洋子の売り出しのために押し出したイメージはヴァンプのようなものだったようです。いわゆるブリジッド・バルドーやマリリン・モンロー、ジェーン・マンスフィールドやダイアナ・ドースのような肉体派で、2本の東宝での出演映画「裸足の青春」と「女囚と共に」ではトップスターと同等の扱いながら、役は前者ではストリッパーになる娘、後者ではヤク中のストリッパーでした。「女囚と共に」は観ましたが、洋子のためにとってつけたような役で、印象には残っていません。おそらく日活の筑波久子や白木マリ、東宝の北あけみ、新東宝の三原葉子のようなラインであったと思われます。

これ以降の展開があったなら洋子の役の幅も広がったのかもしれませんが、日本映画への出演はこの2本のみで、大きな印象を残せないままフランスへ帰りました。

1958年公開のイギリス映画'The Wind Cannot Read'(日本名:風は知らない)が洋子の初ブレイク作と言われており、イギリスで商業的に成功した映画です(何十人と言うオーディションの結果、洋子が勝ち取った役で、当初、予定されていたキャストは岸恵子だったということです)。クレジットで2番目に名前の出てくる洋子の役はサビという日本語学校の先生で、決してヴァンプ的なものや奇をてらったものではなく、ようやく演技者としての本領を発揮できる作に巡り合ったというところでしょうか。声も吹き替えではなく、洋子自身のもので、左幸子の声に少々似ています。

(その3に続く)

Yoko Tani In London(1959)
(youtubeにあった1959年のロンドンで撮られた洋子の映像。この10年後にこの地で超有名になる日本人が同じ名前だったのも奇偶)

Yoko Tsuno
(ベルギーでは国民的アニメらしいYoko Tsunoのモデルは谷洋子と言われている)


 

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