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 Jan 20,2023

■泰安洋行

 1970年代の終わりごろ、大瀧詠一さんの「ナイアガラ・カレンダー」は面白がってよく聴いていたのですが、細野晴臣さんの「泰安洋行」(Bon Voyage co)はなぜかあまりピンと来なかったのです。

ところが、最近、この時期の細野さんのやりたかったことがようやく腑に落ち(遅っ)、このアルバムを笑いながら聴くことが多くなりました。

細野さんがこのあたりでやりたかったイメージは、例えば、昔のハリウッド映画が日本を描く際のステレオタイプだったり、中国と混同している音楽だったり、そのようなものをユーモラスに表現したのではないかと。つまり、1950年代のハリウッド映画の日本で必ず出てくる大風呂や、変な漢字の看板や、おじぎをしまくるあの感じをある種逆手にとったのではないかと思ったのです。沖縄のモチーフが入ってくるところなどはまさにハリウッド映画「八月十五夜の茶屋」そのものではないですか。それを細野さんが南国に所縁のあるらしいハリー細野という架空のいんちきっぽいおじさん(笑)に扮してやっているという・・・。

かまやつひろしさんの世代だと、実際に米進駐軍のベースで演奏経験があるわけですが、細野さんの世代はもうそういう仕事はなかったはずで、その分、アメリカ的日本解釈のおかしな部分を冷静に俯瞰できたのだと思います。そう考えると、カバーで「Sayonara」や次のアルバム収録の「Fujiyama Mama」を取り上げた理由もすごく納得できるのです。「Fujiyama Mama」の歌詞なんて、今ならちょっとはらはらしてしまいますが、1950年代はなにかドサクサで世に出た感が漂います。また、これを当時の日本人歌手がカバーしていたのですから、そういう時代だったというほかありません。

ちなみに「蝶々-San」の「ちょちょさん」は大瀧さんの声だし、「ベー」は達郎さんだし、こまどり姉妹さんみたいな合いの手のコンビネーションは完璧です。「Chou Chou Dog」も悲しさとコミカルの交じり合う名曲。「香港Blues」のリズムの微妙なハネ方もすごい。とにかく、このアルバムは楽しくて最高の名盤です。それにしても、当時の商業音楽の趨勢とは全く異なるこのようなマニアックなことを普通にやらしてくれた当時のレコード会社の懐の深さには驚くばかり。

(2枚目の写真は細野さんが1976年と2016年にライブをやった横浜中華街の同發新館。写真は15年前のもの)
 

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