■銀座のよし田
昔の日本映画には芸者屋や芸者を描いた物語がよくあります。例えば、成瀬己喜男監督の「流れる」(1956年)は芸者屋を舞台にリアルな人間関係を描いた傑作だと思っておりますが、それでは「芸者」というのは一体どんな人たちなのでしょう。知っているようで、実際は良く知らないというのが実情なのではないでしょうか。
岩下尚史さんの著書「名妓の夜噺」は華やかなころに一流の芸者屋に属していた人に実際に話を聞き、誤解の多い芸者の世界の実像に迫ろうとした大変面白い内容。俳優の長谷川一夫、骨董品の稀代の目利き青山二郎の妻は元芸者、そして伊藤博文や板垣退助など明治の元勲の多くが芸者を妻にしていることを思えば、芸者という職業の見解も現代とはかなり異なる模様。そういえば、泉鏡花の妻も芸者で、師匠の尾崎紅葉に咎められたという話も読んだことがあります。(鏡花の「婦系図」について書いたテキスト)
この本の中に昔の芸者さんの談話で、こんな記述が出てくるのです。要約すると、「昔(戦前)は銀座の資生堂の裏あたりに芸者屋がたくさんあったが、今はほとんどビルになってしまって、残っているのはそばの吉田ぐらい」。吉田といえば、ちょっと前まで7丁目にあったよし田のことではないですか。
よし田は30年ぐらい前に横浜そごうに支店があり、銀座の老舗ということも知らずによく行きました。横浜から撤退してからも懐かしくてわざわざ銀座の店に行ったこともありました。メニューが面白くて、藪そばなどには絶対ない「コロッケそば」というのがあるのです。これはコロッケが高級品だった明治時代に創業者がなんとかそばとコラボできないかと考え出されたメニューらしく、なんとジャガイモは使用していないとのこと。銀座を舞台にした映画「都会の横顔」(1953年)には有馬稲子が靴磨きの少年に「帰りによし田のコロッケそばおごってやるから」と言うシーンがあります。
ちなみにこのよし田、今は昔の7丁目から6丁目のビルの2Fに移転したようですが、健在です。久々に行ってみたくなりました。(写真は7丁目にあったころのよし田。2006年撮影)
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