■吉屋信子の評伝
このところずっと田辺聖子の書いた吉屋信子の評伝を読んでおりました。
歴代の女性作家で(男性作家を入れても)信子ほどの商業的成功を収めた人もあまりいないと思われ、昭和の始めにパートナーの女性とともに1年間フランスなどで暮らし、帰ってからも数軒の家を建て、運転手付きの自家用車を持ち、複数の競走馬まで所有するなど、当時の働く女性としては稀有な経済力を有していました。それほど、信子の書く小説は何度もブームとなり、爆発的に売れたのです(「紅雀」は1933年の作ですが、私の持っている単行本は1941年発行のなんと43版)。
ところが、同時代の女流作家である林芙美子や宇野千代に比べると、現在、信子の名前は一般にそれほど知られておらず、その理由は信子が少女小説からスタートし、それが女性読者の間で大ブームとなり、そのイメージが定着したからだと思います。おそらく、田辺はこの少女小説が二流文学であるという先入観や、「女子供」の読み物だという男から見た差別的な評価をアンフェアだと憤り、上中下約1500ページ(文庫)というこの力作の評伝を上梓したのでしょう。
今でこそ女流作家は当たり前になりましたが、戦前の文壇はほぼ男社会で、その中で信子は孤軍奮闘していたというわけです。女性の目標が良妻賢母一択だった時代に、信子の書くものがあまりに売れるので、それを男社会という既成の枠組みでしか理解できない男性作家、批評家などからの多大な嫉妬を買ったのは今の時代もあまり変わらない構図です。
女の幸せは結婚であり、子供を持ち、家庭を守ることだという男たちが作り上げたステレオタイプの固定観念に抗い、それ以外にも女が幸せに生涯を暮らす選択肢があるということを信子は身をもって証明したのでした。信子を慕って集まる女性たちにも隔てなく大変親切にしたことも、男社会の中で女性がどれだけ自分を殺し、やりたいことがあっても我慢をしてきたということを自ら経験しているからでしょう。
田辺は女性で同業者という立場から、少女時代から親しんだ信子の作品について深い洞察を加え、時には冷静に、けれど深い愛情を持って、信子の生涯を綴っています。特に信子が女性であることや、男側からの結論ありきで語られる視野の狭い批評については、信子の気持ちを代弁するかのようにペンが走っています。また、信子の生涯のパートナーであり、盟友であり、秘書でもあった聡明な女性、門馬千代の記述も多くを占めます。
最後に自分にも心当たりがあるにもかかわらず、スカッとする巻末の上野千鶴子さんの解説からの一文を引用します。
「吉屋信子は醜女だという人がある。」 冒頭の一行がここから始まって、ドキリとする。「信子は生涯、その容姿をあげつらわれることが多かった」とある。信子だけではないだろう。聖子さんも同じ経験をしたはずだ。それだけではない。あらゆる女が同じ経験をしている。どんなに無能な男でも、女をその外見で裁断する権利が自分の手の内にある、と傲慢にも勘違いしている。「美人」と呼ぼうが「ブス」と呼ぼうが同じことだ。それに「ルッキズム(外見差別)」という名前が与えられた今日でも、SNS上にはちょっとでも目立つ言動をした女性の外見への中傷があふれている。
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