■追悼 新川博さん
1月8日にアレンジャーの新川博さんが亡くなったとの報。
新川さんにアレンジしていただいた曲は、私がシンガーソングライター時代の曲を含め20曲以上。カウントしたら、私の曲の中では一番多く組ませていただいたアレンジャーでした。よく覚えているのは、私の大学の卒業謝恩会の日にレコーディングがあって(なので、私は謝恩会は欠席したのです)、その時のアレンジャーが新川さんでした。スタジオは銀座の音響ハウス、まだポリフォニック・シンセが一般的ではない時代で、新川さんのキーボードセットはローズとミニムーグとローランドのボコーダーVP-330だったと思います。その際、こちらはやる気だけが突っ走っているような若造ですから、ずいぶん無理なアイデアを出して、それは音がぶつかってるからダメなどと再三言われたような気がします。
とにかく自分の曲がプロの手によってたちまち「レコードで聴くような」サウンドになっていくのに驚いたのです。あの体験があったからこそ、無謀にも音楽の世界へ飛び込んだと言っても過言ではありません。ちなみに私が作家にシフトし、初めてシングルのA面に採用された曲も新川さんのアレンジでした。また、1987年に「雨に消えたあいつ」(歌は伊藤智恵理さん)というシングルがありましたが、デモではメージャーのトニックコードだったAメロの頭をマイナーコードに変えたのは新川さんでした。
新川さんは長年、ユーミンの雲母社へ所属しており、1988年にご自分で那由多という会社を立ち上げ、そのお知らせもいただきました。ちなみに那由多という名前はユーミンが名付けたと聞きました。
そういえば、10年ぐらい前に神田にエレピの専門店があって、ある日、そこで調整中のシルバートップのローズ(ビートルズのルーフトップライブでビリー・プレストンが使っていたのと同型のモノラル初期モデル)を見たのです。そして、それが実は新川さんのローズだったということもありました。
FenderRhodes
Silver Top【The performance by Mr.shinkawa】
新川さん、素晴らしいアレンジで私の曲をいつも引き上げて下さりありがとうございました。もう一度、スタジオでご一緒したかったです。
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