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 Aug 12,2025

■軍曹の「あーあ」

 「わが文学体験」(1975年)は大岡昇平が質問に答えるというインタビュー形式の本ですが、その中の「戦争体験と文学」でフィリピンの前線で、夕方になると夕焼けの空を眺めながら「あーあ」と言う軍曹がいたというのです。その軍曹は戦死したそうですが、「天皇陛下万歳」などと叫んで敵に斬りこんでいく兵隊よりもなにかその心情が大変理解できるのです。

戦争も末期で、ほとんどの将兵は疲弊しており、この戦争がすでに負け戦であることをどこかで認識していたはず。それなのに日本から遠く離れた地で一体我々はなにをやっているのだろうとか、もしも、自分がこんな時代に生まれていなかったならという不遇とか、どうせこの先、死ぬのだろうという諦念とか、それがこの軍曹の「あーあ」ではなかったかと思うのです。

大岡は前線でパタパタ不景気なエンジン音を立てて飛んでいく友軍機を何度か見たと書いていますが、おそらく、神風の搭乗員も目的地に着くまでの時間、考えていたことは国のためとか、家族のためとかいうことよりも、この「あーあ」という諦めの心情だったのではないでしょうか。加えて、自分一人が死んでいくのではなく、同じように若い戦友も一緒に死ぬのだという連帯感が不如意な気持ちをかろうじて支えていたような気がします。

戦没学生の手記で痛々しいのは、目の前の不条理な現実を持っている知識を総動員してどうにかして正当なものにしようと辻褄合わせをしているところ。行間から書けなかったこの「あーあ」が聞こえてくるようなのです。


 
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