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■「コンパートメント」から「人魚姫の夢」 もうひとつユーミンの曲について。 私がユーミンを真剣に聴いていたのは1980年代中期あたりまでで、それ以降は耳に入ってくる曲のみを特に思い入れもなしに聴いていました。バブルだった1990年代が過ぎ、2000年代に入り、ユーミンの周りがやや落ち着き始めた時代にシングルカットされたのが「人魚姫の夢」(2007年)でした。 この曲を初めて聴いた時に、私の中で長らく眠っていたユーミン熱が再燃し、うわ、またユーミン、すごい曲書いちゃったなと思いました。この歌は人魚姫らしいわたしが海の底にいるところから始まります。この詞の中の「痛み」というのは、アンデルセンの「人魚姫」が恋した王子に会うために声と引き換えに人間の足を手に入れ、それは歩くたびに痛みを感じる足なのですが、ここからの引用だと思われます。 わたしは痛みを抱えながら「あなた」を海の底でずっと待っていますが、「あなた」が来てもわたしは幸せになることはなく、全てが「哀しい夢」だったというのです。ここで私が思い出したのは、三島由紀夫の遺作「天人五衰」の最後です。三島はそれまでの長い長い輪廻の物語を全て夢だったと、突き放して終わらせるのです。 そして、私は2番で出てくる「声をなくす 人魚姫が残した恋の唄は」という一文がどうしてもリアルのユーミンとだぶって仕方ないのです。同様に「おしえて あとどれくらいか 私が目醒める時まで」というのは、ユーミンがすでにその活動の終わりを見据えて書いたフレーズのように感じるのです。 つまり、「コンパートメント」(1980年)では苦痛から逃れたくて、眠り薬を飲み、楽になるかと思えば、たどり着いた場所は「朝ではなく 白夜の荒野」で、一方、「人魚姫の夢」も苦痛から救ってくれるあなたを待っていて、いざ、あなたが来てみると全ては「哀しい夢」だったというのです。私には「白夜の荒野」=「哀しい夢」=三島の「天人五衰」の最後の「何もないところ」という気がしてなりません。 さらに「コンパートメント」では痛みの理由が失恋だと分かりますが、「人魚姫の夢」ではその痛みは生きることに対しての諦観のようなものに変化しています。「人魚姫の夢」で待っている「あなた」はわたしが恋に落ちた相手ではなく、わたしに現実を教えに来る使者のような感じで、すでにこの曲のテーマが色恋沙汰ではなく、もっと生きること全般に対して向けられたものであることが伺えます。「人魚姫の夢」というタイトルは一見、ディズニーに出てきそうなロマンティックで、明るい結末を想像しますが、ユーミンはそこに行き止まりの、容赦ない現実を見せつけたのです。 「コンパートメント」の時はユーミンもまだ若く(もちろん、リスナーである私も)、深刻な内容の反面、これはユーミンのダークサイドの一部だろうと楽観視も出来ましたが、それから27年後、ユーミンも、聴く我々も昔と同じではなく、世の中が決してパラダイスでなかったことを実感し、人生の澱のようなものを積み重ねながら大人になり、「人魚姫の夢」に辿りついたというわけです。 三島がマスコミが飛びつきそうな話題を常に提供しながら、本質は全く別の場所にあったように、ユーミンもそのサーヴィス精神から人々の期待する華やかなイメージを提供していますが、それが計算された韜晦であり、本質は決してそこにはないことに気付かなければなりません。
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