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■ガロ

 
ロというグループを思い出すとき、私は胸になにやらモヤモヤした感じを覚えます。
それは子供の頃見たTVの歌謡番組で、フルバンドをバックにやりにくそうにワン・ハーフを歌っていた印象なの
か、場違いと思われる賞レースなどに出ていた記憶からくるものかもしれません。

スタート当初のガロは少なくとも芸能界とは遠い存在であるかのように見えました。日高氏はよくギター雑誌などにCSN&Yの用いたオープン・チューニングのかなりアカデミックな解説などもしていたし、デビュー・アルバムの洗練された世界観は派手なショービズの世界よりも等身大の音楽を真摯に追求するプレイヤーを連想させました。

今にして思えば、ガロには「華」があったし、それを前面に押し出してプロダクションやレコード会社が売りを急ぎ
過ぎたという気がしてならないのですよ。つまり、これはGS時代となんら変わらない手法であったわけです。

もしスタッフが売りを急がず、メンバーのみに音楽的イニシアチブを持たせていれば、何年かしてアルバムアー
ティストとしてそのサウンドも大きく開花したような気がしてなりません。つまりガロにとっての不幸は外の作家
を起用してヒットしたことによって本来持っているはずであった持ち味が全てリセットされてしまった点だと考える
のです。

そういう意味から言えば、当時の東芝EMI系のアーティストに対する扱いは辛抱強く、リスペクトに値するものだ
と思います。例えば、オフコースの初期のシングルのうちデビュー曲を含む4曲は外注作家の曲ですが、幸か
不幸かこれらはヒットしませんでした。そして7枚目にしてようやく「眠れぬ夜」となるわけですが、この間はなん
と5年という時間がかかっています。今ならとても考えられない話ですが、当時はレコード会社もアーティストを
育てるとか、文化に寄与するとかいう意識が強かったと思うのです。そして、この不遇の5年は決して無駄ではなかったことはその後のオフコースの大ブレークが証明しています。

ヒットを出すということはプロとしてやっていく以上避けられない課題なのですが、どんな形でヒットが出るかとい
うことはさらに重要なことだと考えるのです。

                                                          2002/8/29

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