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■服

 
学生ぐらいになって徐々にファッションに興味を持つようになりました。当時のおしゃれな友達たちはいわ
ゆるVANなどを起点とするアメリカンアイビー系の服を着ていましたが、私はどうしてもこのアイビーというファッシ
ョンがカッコいいものとは思えなかったのですな。同じ時期にヨーロピアンコンチネンタル系のJUNというブランド
があり、私はひそかにそちらのほうがカッコいいと思っていたのです。

BIGIとかGRASSとかニコルを認識したのは高校生のころでした。ちょうどそのころにTVで「傷だらけの天使」というドラマが放映されていて、主演の萩原健一氏の衣装を担当していたのが、菊池武夫氏のいたBIGIだったのです。萩原氏の着ていた上着はタイトのダブル、ボトムはバギーバンツというスーツや、皮のブルゾン、ドイツ軍の軍服のようなロングコートなどはカッコよかったですな。元町にアルバという名前だったと思いますが、BIGIを扱っている店があって、どきどきしながら見に行ったこともありました。

本気で目覚めたのは大学に入ってからでした。土地柄、いい洋服屋もたくさんあったし、友達にも洒落者が多かったのでごく自然に朱に染まったということでしょう。このころはサーファーのファッションが全盛で、かつてのアイビーとはかなり異なるテイストのフレンチアイビーなんていうのも流行しました。

当時、よく出入りしていた店は渋谷の「ミウラ&サンズ」とか原宿「ビームス」とか。「シップス」が出来たのもこの
ころでした。あとは渋谷に汚い店だったけど(確か「さかえや」という名前だったと記憶しています)、直輸入で日
本未入荷の服などを安く売ってる店があってそんなところにもよく行きました。パルコには高橋ユキヒロさんのやっていた「ブリックス」という店もありました。友達の中にはシアーズとか海外のカタログを取り寄せて発注しているツワモノなどもおりました。これはもういかに知られていないブランドを探してくるかの無邪気な競争みたいなものでしたな。

デビューしてからジャケット撮影とかになるとプロのスタイリストさんがついたのですが、私は生意気にも、どこ
のブランドのこういう服をと指定しておりました。ちなみにファーストはAMBER HOUSE、セカンドはイッセイ・ミヤ
ケで、シングル「通りすぎても」のジャケ写は自前のイッセイ・ミヤケでした。
1983年、ある雑誌掲載用のテスト・ポラ

後ろにおられるのはニットで有名な「フィッチェ・ウォーモ」のオーナー・デザイナーの小西
良幸氏(現在は「ドン小西」としてワイドショーなどでもおなじみですね)。

                                                           2002/9/9

kishi masayuki on the web


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