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■山下町での静かな生活 ちょうど作家としての仕事がかなり忙しくなり始めたころ、横浜の山下公園のそばに仕事場を借りていまし た。その部屋はベランダからマリンタワーが見えて、中華街やニューグランドにも歩いて行けるというなかなか のロケーションでした。 当時はネット上で出来た曲のデータを送るなんてことはできませんでしたし、締め切りに発注元にデモテープの 現物が届いていなければならなかったのです。私は締め切りは厳守するほうですので、だいたい締め切りには 曲はあがっていたのですが、仕事が立て込んでくると曲を届けてそこでまたその一日がつぶれてしまうというこ とがもったいなくなってきたのです。 マネージャーやディレクターが仕事場に取りに来るということも何度かありましたが、ここは横浜の片田舎(笑)、 あまりにそれは非生産的だと思ったのですな。そこで、曲があがった時点で私自身が深夜の高速を飛ばして事 務所にデモを届けてしまうということを頻繁にやりました。このドライブは次の仕事にとりかかるいい気分転換に もなっていたわけです。新山下の入り口から横羽、第三京浜というのがおきまりのコースで、だいたい45分ぐら いで原宿にあった当時の事務所に到着しました(余談ですが、届け終えてまた仕事場に戻り、デモの最終段 階のセッティングで音を聴くと、すごい大音量になっていて驚いた記憶が何度かあります。つまり、どうしてもデ モ制作段階で徐々に音量が上がっていってしまうのですな。これは耳を痛めるので、音に携わる人は気をつけ たほうがいいかもしれません)。これでマネージャーが明けたその日に曲を持っていって、採用になれば私の仕 事はほとんど終わりでした。 で、一ヵ月後ぐらいにそれが運良くシングルになり、またまた運良くヒットなどをすると、TVの「ベストテン」や「夜 のヒットスタジオ」のような番組で耳にするのです。おそらく日本の隅々まで放送されていたそんな華やかな番 組でスターと呼ばれる人たちが私の曲を歌うのを聴くにつけ、それが最初は深夜のこの部屋から生まれたもの であると実感するのはなかなか困難でした。それほどブラウン管に映っている華やかな世界と、東京から遠く 離れた一人の部屋で自分を追い込むように曲を作っていた地味な作業とのへだたりがあったということでしょう。 けれど、私はこの音楽のみに集中できる静かな生活がとても居心地良かったのです。
2002/9/13 |
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