■TEXT
■ボツ曲の行方 曲の発注を受ける際、1曲の発注でも私の場合はタイプの異なる複数の曲を提出するケースがあります。つ まりメーカーサイドの意向に沿ったものと、こちらでアイデアがあれば全く別のアプローチでこういう切り口もあり ますよというものを提示するのです。作家というものはクライアントの意向に沿った作品を作ることも大切なので すが、一方ではそれの裏をかいてやろうという気持ちもあるのです。 運よくその全ての曲が採用になることはありますが、多くの場合では曲選考からこぼれる曲、つまりボツ曲が 発生するのですな。例えば、私が長年に渡って曲を提供している稲垣潤一氏のケースでは、現在までに世に 出た曲は9曲ですが、実際には習作と呼べるような作品を含め、その3倍以上の数の曲を提出しているのです。 このボツ曲はストック曲となって作家にとっては貴重な財産となり、同じようなオーダーが入った場合にはそれを そのまま提出することも可能ですし、いいモチーフがあればそこだけ取り出して新しい曲に組み込むということも できるわけですが、私は一回提出した曲はできるだけ使い回さないという方針です。 というのは、当時は選考にもれたボツ曲を案外ディレクターたちは記憶していて、数年後にあの時の曲を使って いいですかというオファーを受けることが少なくないからです。私の極端な例では提出した曲をあるディレクター がずっと持っていて、そのディレクターがレコード会社を移ってから取り上げたというケースさえあります。当然ア ーティストも違うし、レコード会社も異なり、曲を提出してから世に出るまで5年ぐらいの年月が経過しているわけ です。 私は曲にもある程度の賞味期限というものがあると考えていますが、編曲や、その時代を象徴したような言葉が入っているような詞に比べればそれは緩やかなものであるように思います。作詞の世界では「ポケベル」や「電 話をダイアルを回す」なんていう言葉はおそらく死語ですが、曲にはそれほど極端なケースはないように感じる のです。
2002/10/1 |
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